2010年6月10日木曜日

この愛をいつまでも/THERE'S ALWAYS ME


この愛をいつまでも (ゼアズ・オールウェイズ・ミー) /THERE'S ALWAYS ME


 1967年。<この愛をいつまでも>でシングルリリースされた<THERE'S ALWAYS ME>は、いまでは、原題そのままに<ゼアズ・オールウェイズ・ミー>とカタカナにしているようだ。

 <この愛をいつまでも>の方がなじみがいい。聞いただけで分かる内容で、そのままリスナーを裏切らない。あまりにも意外性がなく単調に聞こえるが、時間も短く、バラードらしいバラードのいい歌だ。
 50年代中盤、エルヴィスの若々しく、荒々しい刹那さは陰を潜めたが、誠実さが前面に出ている。


夜の帳が降りて
だれかと電話で
お喋りしたい時
いつも僕がいる

君が恋に破れて
友達が恋しい時
たとえ恋人でなくとも
いつも僕がいる

ちっとも構わないさ
脇役でいることなど
いつか、僕が必要になる

その日がきたら
この腕の中で教えてあげる
出会いと別れをくり返した君に
僕のこの愛は
永遠だと

君の回りを見渡せば
いつも僕がいる


詩がいい、エルヴィス・プレスリーらしく一歩引いてそっと見守る恋歌。大傑作<愛しているのに>や、エルヴィスが70年代にカヴァーした<明日に架ける橋>につながる「この心いつまでも」。聴く人はいまでもその心の哭く。

♪ ゼアズ・オールウェイズ・ミー、いつでもそばにいる心。

♪ 君が恋に破れて
  友達が恋しい時
  たとえ恋人でなくとも
  いつも僕がいる  ♪


 我慢ではない。励ましだ。

 素朴な励ましに、エルヴィスの声が似合う。それが胸を打つ。
 「おもしろい人が好き」と女性はいう。
 でもその本当は、いっしょに笑ってくれる人のこと、別におもしろいことをいうことでない、一緒に泣き喜び、人生を分かち合ってくれる人。

 その向こうにはいつも励ましがある。励ましこそ愛の本体だ


 THERE'S ALWAYS ME

When the evening shadows fall
And you're wondering who to call
For a little company
There's always me

If your great romance should end
And you're lonesome for a friend
Darling, you need never me
There's always me

I don't seem to mind somehow
Playing second fiddle now
Someday you'll want me, dear
And when that day is here

Within my arms you'll come to know
Other loves may came and go
But my love for you will be
Eternally

Look around and you will see
There's always me

2010年4月22日木曜日

ゴー!ゴー!ゴー!


ゴー!ゴー!ゴー!

ハル・B・ウォリスが指揮をとってきたパラマウント映画のエルヴィス・プレスリー主演映画は一貫して、サブ・カル・キング、エルヴィスをバ~ンと前面に押し出し、そのままハワイやアカプルコ、あるいは軍隊に投げ込んで、エルヴィス・プレスリーあるいはロックンロールという若者文化のそれらを切り取ってみせるもので、絶対的な主役を期待され、それに応えてきた。それが”エルヴィス映画”のたまらない豪華絢爛の醍醐味であり、エルヴィス映画というジャンルを成立させている条件なのだ。それを築いたのがハル・ウォリス・プロダクションの作品だ。

しかし、1966年製作の『GO! GO! GO!/ゴー!ゴー!ゴー!』では異変が起こったのだ。本作ではエルヴィスは「作品の出来栄え予測」をめぐって監督ジョン・リッチと口論に至っているのだ。ジョン・リッチとは『青春カーニバル』でも協働した間柄。エルヴィスは自分の責任、つまりハル・B・ウォリスの願いを全うすることに燃えていたのだ。その意欲はバラエティ誌などで「エルヴィスは巧い役者だ」という称賛で掲載されている。エルヴィス・プレスリーは好調だったのだ。


ヒッピー、コミューン、前衛アート、フラワー・ムーヴェント、サマー・オブ・ラブ・・・。公民権運動からベトナム戦争へのうねりに端を発したカウンター・カルチャーと、その風を受けてとんがっているガール、ガール、ガール・・・いままでとんがっていたのはエルヴィスだったのが、なんと入れ替わっているではないか!

エルヴィス映画に出てくる定番の脇役である金持ちのバカ娘ではない、我が道を往く突っ張りガールの出現なのだ。おかげでエルヴィスは『青春カーニバル』や『ガール!ガール!ガール!』でのとんがり返上している。
海洋アドベンチャーという形をとりながらも、人間のバカさの対決がこの映画の魅力である。

21世紀のいまや死に体となったサブ・カルチャーの概念は50年代にロックンロール、ビート族、黒人など、小集団、マイノリティーの特有の文化が社会的な階層とリンクしたところからマス・カルチャーを上位、サブ・カルチャーを下位文化としてとらえたもの。
エルヴィスはサブカルチャーの先駆者であり、当時真新しいマーケティング用語であったティーンエージャーという概念とともに、サブカルがサブカルとして光り輝き、その使命を真実全うしたもっとも素晴らしい事例である。
一方、カウンター・カルチャーはマスへの対抗文化だが、いまではサブカルチャーの1要素である世代間対立と合流してサブカルと同義語になってしまった。その微妙な波間に泳ぐエルヴィスが本作では楽しく、エルヴィスの「サブカルト映画」として奇妙な一本なのだ。

ジェリー・ルイス、ディーン・マーティンの底抜けシリーズの生みの親であるハル・B・ウォリスは昔ながらの大衆文化を脅かす新興カルチャーに遂に面倒くさくなって、気楽にいこうぜとばかりに、エルヴィスごと海へ投げ込んでしまったのかと思うのだが、どっこい沈んでたまるかとペンギンと間違えるほどのエルヴィスの頑張りに、「沈まないよね。キッキッキィ」と深夜にビデオ見ながらひとりこっそり喜んでいる次第なのだ。

ハル・B・ウォリスの願いは達成しますぜと走るエルヴィスだが、エルヴィス陣営は楽曲でエルヴィス・プレスリーをバックアップ。もうほとんど高田純次化してしまったエルヴィスのすごさは反戦を超えて無戦状態、天晴れ、無敵。

ダルマも驚く<ヨガ修行>、水兵さんの興味はスリーサイズだけとやってしまう<恋のルーレット>"Sing You Children" フラワー・チルドレンも青ざめる<みんなも歌おう>、"I'll Take Love" 取るならなにより恋、ベトナム戦争をアッチのおいて決定的な<恋がいい>・・・みんなまとめて<気楽にいこうぜ/Easy Come , Easy Go>。

1966年9月12日のクランクイン。
なにしろアメリカがカンボジア侵攻した後だ。国内では、白人若年層のモラル低下が著しく、ハイウェイと共に成長して来たアメリカのシンボルともいえるロードサイド・ビジネスの典型であるドライブ・インが相次いで閉鎖に追い込まれるほど治安が悪くなり、ベトナム派遣拒否兵裁判、黒人暴動など暗雲が覆っていた。中国では文化大革命が起こった。

公開オープニングは反戦デモが全米各地に吹き荒れる67年3月22日だった。
その最中にこれですから、『GO! GO! GO!/ゴー!ゴー!ゴー!』・・・これほど過激な反戦活動はないカモ~ン!?これがブッシュ政権だったらグレイスランドにミサイル撃ち込まれたカモ~ン!?

気楽にいこうぜ

得やすいものは失いやすい
どこもかしこもそこらじゅう
あたりはいかれた愛だらけ
夜の、mmm,夜のとばりがおりる

どこの港にも溢れる娘たち
だけどすべてはおまえさん次第
グズグズしてたらとっ捕まるぜ
Oh year,oh yeah

*得やすいものは失いやすい
北も南もそこらじゅう
町から町ヘキッスの嵐
おいしいよ、mmm,栄養満点
気をつけな、あせらずにそうさ、
得やすいものは失いやすい

女の子をひっかけたい時は
なんと言っても軍服か一番
どんな嵐もへっちゃらだい
あの娘からの風当たりが強くとも

*くり返し

気をつけなよ、あせらずに
そうさ、得やすいものは失いやすい

得やすいものは失いやすい
得やすいものは失いやすい
得やすいものは失いやすい

得やすいものは失いやすい
得やすいものは失いやすい

Easy Come , Easy Goの意味は「悪銭身につかず。」